【感想・反省・その他】

高橋 力夫
『2006年 60代最後の年にネパールヒマラヤ タンスンジャイティ(6084m)に夢を掛け、完全敗北し敗残兵となってカトマンズにたどり着いた男の話 2007年 男はもう自分のネパールは終わったなーと失意の淵に立つ日々を送っていたある日、突然『あんみつ姫』からネパール6000mに行きませんか?の、誘いお受け 11月8日トロンピーク6144mに見事登頂できたと言う、美しくもあり、ロマンチックな現代の実話に基づく行動記録です。(以下『共済山の会たより』に送った原稿です)』 
付録報告    トロンピーク 6144メートルに登りました     
2007年夏の初め『高橋さんネパール6000mに行きませんか』と女神からメールが突然入ってきました、ここ3ヶ月に1回ぐらい私の行けそうな山行を計画して、仲間と同行してくれる女神です (今回のトロンピーク隊長)。
すぐ行きますと返信を送っていました、それからが大変10−11月の乾季に行くことにしたが、隊のメンバーは、航空券は,旅行社、現地との打ち合わせと、女神がなれたパソコンやってくれるが,10月は航空各社ともキャンセル待ちで空きなし一時はあきらめかけたが、週一便韓国からのネパール乗り入れ便を月末になって押さえることが出来た。メンバーは昨年の敗残兵仲間に声を掛け合い、最終隊員は6名(50代女性1名、男性63歳―68歳4名、そして70歳の私)
隊名 トロンピークあんみつ登山隊2007  
目標 ティリチョ・レイクのトレッキングとトロンピーク 6144m の登頂とした。
期間 2007年10.24−11.16の24日間
10月24日17時成田発、韓国インチヨン空港19:15着、ホテルに一泊して25日、カトマンズ入、26日観光省で正式に登山許可を受け、27日朝1番機でポカラへ、28日6時45分 ジヨムソンム2710mのトレッキング基地へ、(24人乗りのプロペラ機風が吹き出すとすぐ欠航する)、29日トレッキング開始、29日〜30日ヤクカルカをへてメソカントカール手前の4550mに到達、31日は停滞 高所順応 偵察日とする。
11月1日 これより雪上、峠越えに挑む5340m−5390mと登れども歩けどもテント場はなく、下山道不明で日没となりテントにたどり着かず、風と寒さの戦いの中引き返すことに決め、行きに出会った外国人の一張りのテントに望みをたくし歩き出す。偶然遅れた我が方のポーターのテントがひとつ増えており、駆け込み12人がビバーク状態となり、命拾いをした。
2日朝、気温ー10? サーダーがレモンテイ持ってテリチョイのBCより迎えに来る、一息ついて隣の外人さんとエールを交わし出発する、ティリチョレイクハイクBC5050mに10時45分到着、午後は休養とする。雄大で神秘的なティリチョレイクを撮影できた、別世界に来たようだ。
11月3日朝、気温―16? ティリチョBCよりカンサール3800mへ下山開始、雄大な山々と深い谷、落石の続く道をへてカンサールの集落にたどりつく、小屋泊まりで6日ぶりにビールにありつけて乾杯だ。ロキシーだ。
11月4日 マナン3600mへ最後のトレック ゆっくりと町にはいる、トレック終了。
11月5日、いよいよこれよりトロンパス街道を登る マナンよりヤッカルカ上4150mへ
11月6日 トロンフェデイー峰の分岐点へ4938m気温―12?。
11月7日 トロンパス峠 4516mに到着、BCにテントを張り,明日登山のトロンピークを望む6144m、『俺にはとっても無理だなー迷惑かけるより最初やめよう』と思い隊長に申し出ると 『行って見なけりゃーわかんないでしょう』と一活される。装備の点検をサーダーにしてもらい。明日は早いぞと気を引き締めなおす。
11月8日 晴れ 気温―15? 5時40分 隊員6名、シエルバ3名、コック長も加わって10名、アタック開始ユマール、ピッケルを使って、アイゼンの前歯でけり込む事を教わり、途中からリユックももってもらい9時過ぎ5900mの岩稜横に到達、何とか6000mまでは登りたいと思っていたが先はまだ長い、白銀の長いピークを先人に続き、3箇所ほど登った所でサーダーと仲間がピッケルを立てていた。ここが頂上6144Mだ。
11時15分 全員登頂成功、握手、握手。しばし写真を撮り合って下山開始。
雪の降り出したなかを全員に助けられながら何とか下山し、午後4時15分トロンパスBCに到着できた。
11月9日 雪〜曇り ムクチナート3800mに下り 小屋泊り。
11月10日 出発点のジヨムソンヘ到着、シエルパ、キッチン、ポータスタッフ全員に
謝礼をして交流会。登頂記念の心づくしのケーイキにナイフを入れる。
11月11日 ポカラヘ 12日ポカラ観光で休日を楽しむ。
11月13日 カトマンズ到着 観光省へ報告、温泉で身体を癒す
11月16日 韓国経由で成田着。
3人の軽度凍傷者をだしたが無事目的を達成することができた
11/2 命拾いした翌日
11/3 ティリチョレイク
11/3 カンサールへの長い道のり
湯本 寛
過去、6回ネパールヒマラヤに入ったがいずれも夏、雨季であり午後から雨の日が多くじめじめとし、蛭に吸われ天候もスカッとせず展望も悪いことが多かった。高山植物は咲いているがヒマラヤのたおやかの峰峰がきれいに見えないのではどうしょうもない。ヒマラヤの魅力も半減であると考えていた。
最近の2年はピークも踏めず、昨年なぞは、さほど天候も悪くないのに、頼んだ「ヘリ」は来ず、3日遅れの帰国となる始末であった。これがネパール、こういうこともあると思ってもみるが、いい加減嫌気もさして来た。
 今年は、1人でネパールに入ろうと思っていたところ、高橋、岡両氏より相次いで10月〜11月にトロンピークの計画があるがどうかとのお誘いがあった。これはいいと思い乗った。
 今回は、ベストシーズンということもあり24日間のうち曇り・雪の日は、アタック日とその翌日の2日間だけで後は全て晴天であった。山々の眺望はすばらしかった。そして6144mのトロンピークにも登頂できた。
 メソカントパスからティリチョレイクでの行動では危ない場面もあったが。この点については色々と勉強になった面もある。トロンピークも前日は強風でありどうなるかと思ったがアタック当日は風もおさまりワンデーチャンスをものにでき全員が登頂できた。
今回は人数も6人とちょうど良くメンバーの皆さんにも恵まれ、良い海外遠征登山であったと感謝している
 自分にとっての大きな反省点は、不覚にも自分自身の油断からアタック行動において両足指先に凍傷を負ってしまった事である。幸い大事にはならなかったが、冬・雪山においての絶対的必須である寒さからの身の保全に油断があった。特に体の先(突起)部分(手・足・鼻・耳・顔等)についての対策には、心しなければならない。そして、それぞれの状況においての対策を怠ってはいけない。山では安全が全てに優先する。この教訓をあらためて考える事ができたとについても感謝したいと思っている。

10/30 ダウラギリとツクチェピークを背景に
10/31 メソカント峠へ
11/8 ヤカワカンと肩を並べて

伊賀 幹夫
 秋のヒマラヤは、アイランドピーク(10月)およびアンナプルナ内院(9・下〜10・中)に次いで4年ぶり3回目である。しかも今年は夏のゴーキヨから2ヶ月後で、1年2回の山行となった。前4回(ゴーキヨ、タンスイジティ、ヤラ、およびプルクン)はいずれも雨季最中の8月であったから久しぶりの秋山行である。コースとシーズンの良さに加え、“高度順応済み”にもかけて、我家の経済力からすれば10年に一度あるかないかの出費を覚悟しての参加であった。
 今回のコースは、具体的なピークの登頂は念頭になかったが、前々からねらっていたチャンスでもあったのだ。また隊長の片倉を除くメンバーとは、これまでにヒマラヤ登山を共に行った山友で安心感をもって臨むことができた。
 最初から最後まで、期待通りの好天続きでフライトおよびトレッキングを含め、東のカンチェンジュンガから西のダウラギリまでの八千メートル峰9座を確認するという幸運に恵まれた。ただ帰国のフライトで間近に見るエベレスト他をフィルム切れのため撮影できなかったのが心残りである。
 本コースは数々の名峰を仰ぎみるとともに、神秘的な数個の湖、幻想をかきたてるムスタン王国の香り漂う村々など、これまで7回のヒマラヤ行の中でも飛び切りのコースであった。ただ、1日の行程が「かなり長いナ」と感じられる日があった。
 コック長を含めて4名のガイドの体力、技術、人柄は申し分なく、終始愉快な山旅と登山を楽しむことができた。惜しむらくは、ティリチョタールの経験がサーダーのパサン一人だけだったため、その日の長い行程も重なって危険な事態に至った点である。
 今回、八度目のヒマラヤは私にとって特別に記念すべき山行となった。隊長はじめ、メンバーの皆さんに感謝申し上げます。

中央 真っ白なホングデ  右 タシカン
11/1 やっと峠を乗り越えて
11/3

岡 光邦  トロンピークあんみつ登山隊2007に参加して          

ネパールヒマラヤの秋は素晴らしいと聞いていたので是非行きたいと思っていましたが、折よくお誘いの話がありました。
 高所訓練に8月と10月の2回富士登山をしました。
 準備打合せ会を2回開いたが、最終日程がフライトや現地の事情でなかなか決まらず、片倉さんは連絡や調整に大変だったと思います。しかし出発したら成田から韓国インチョン、カトマンズとすべて順調に進んだ。ポカラには初めて訪れたが静かな都市だった。山岳博物館も見学できた。ジョムソムへは十数人乗りの小さな飛行機でブルブルと機体を震わせ飛び立ったと思ったら30分で谷あいの小さな飛行場に着陸した。宿泊したホテル・ティリチョは小さいが清潔な宿だった。娘さんが手で雑巾がけした床を土足で上がるのは悪いような気がした。ここで機械文明と別れを告げて後は自分の足を頼りのトレッキングが始まる。テント泊初日のヤクカルカには早めに着いた。正面にダウラギリとツクチェピークが白く輝いていた。ポーターが横笛を吹いていた。私にはその音色が何ともいえない哀愁を帯びていて、ネパールヒマラヤに来ているのだとの思いが強かった。
 今回の目標の一つ、ティリチョレイクも思い出の場所となった。メソカント峠に立った時の風景やその日の出来事は忘れることが出来ない。トロンパスはさすが5400mの歴史ある峠だが、強い風が吹いていて荒涼とした感じがした。
 目標のメイン、トロンピーク登頂の前日だというのに、隊長がテントに来て横断幕を作るから協力してくださいと言う。茨城弁で言えば、「エッ!今から。何でも心の準備つうものがあっぺよ。」なんて言っている場合ではなく、なんとか即席に旗が出来た。この旗を頂上に揚げられるか心配だった。サーダーがこの風が治まらなければアタックは中止すると言っていたからだ。風が治まるよう祈る気持ちでシュラフにもぐった。アタック日は風も無くまずまずの天候で全員トロンピーク登頂と言う幸運に恵まれた。下山中に雪がチラチラ降り出したが無事5400mの薄化粧しつつあるベースキャンプに着いた。
 今回、私にとって初めての6000mを越える登山、素晴らしい山旅と登山に大きな満足の日々だった。
 隊長を始め参加者の皆さんに感謝しています。ありがとうございました。

10/30
11/10 ポーター達はロキシーよりビールがお好き
11/10 ジョムソムの打ち上げパーティで
遠藤 悟
今回のネパールは『最後よければすべて良し』でした。
メンバー、食事、高度順応、ガイド、天気、等々 順調に行った。
運も味方してくれた。5,300mの峠越えの時、あわやビバークかと思われた時、ポーターたちのテントが近くにあり、難を逃れることが出来た。
いろいろなことが体験できるネパールは僕にとって大切な所となっている。
10/30 長靴と歯ブラシ
11/3 ティリチョ・レイクを後に
11/10 ムクチナートの門
片倉 昭江
  今回のネパールは、六千m級のヒマラヤを登りたいという高橋さんの希望とティリチョレイクへ行ってみたいと思っていた私の夢を合わせて計画しました。当初は二人で行こうと思っていましたが、岡さんが加わったことからメンバーを集めて正式に許可を取った登山隊にすることにしました。今回の成功は第一に気心知れたメンバーが集まったということです。第二は天候に恵まれたことです。予備日が無くなってしまったアタックも、頂上からの展望こそ臨めませんでしたが、まずまず恵まれた天気でした。私は計画立案者というだけの隊長でした。経験豊富な先輩達のお陰でなんとか無事に終わりましたが、反省点はたくさんあります。
@ 五千mであわやビバーク この失敗の原因は色々考えられます。先ずは一般ルートの逆コースを取ったこと。メソカンタ峠を越えた後の雪上歩きが長く、高度もあまり下がらないので、ジョムソムからマナンへ向かうコースは思った以上に時間がかかった。(もちろん我々のスピードがサーダーの予測より遅かったのだろう。)また、行動を共にするはずだったサーダーが、雪上で歩けなくなったポーターを背負って先に行ってしまった。残されたヒットマンはルート経験なく、テントサイトを知らなかった。
A アタック予備日が無くなってしまった 帰国までの日程は十分あったのに、ジョムソムからのフライトを遅らせることが出来ないので、結局カトマンズで遊んでしまった。もう2日トレッキング中の予備日にしておけば良かった。早く終わって引き上げる分には問題がない。
B 高度順応日程 比較的高所に強いメンバーだったが、ジョムソム2700m ヤクカルカ3600m 峠手前4550mと一気に高度を上げてしまったので、皆きつかったのではないかと思った。4550mでステイしたがその前の3600mで停滞した方が良かったのではないか?私自身は写真を見るとかなり浮腫んでいて、ダイアモックスは使用しなかったが、頭痛でバファリンが足りなくなってしまった。
B 秋の登山隊 日が落ちてから急激に気温が下がるので、8月の石原隊は結構楽だったなあと思った。峠越えの時に冬靴を履いていれば凍傷にならなかった。また、アタックの時、予想以上に辛かったのは薄着のせいだった。ダウンを着込んでからは呼吸が楽になり行動も普通に戻った。2005年に登ったテントピークはアタック日が10月半ばで、夏の登山隊との差をあまり感じなかったが、今回は装備不足を痛感した。
  今回で5回目のネパールは一番楽しく充実したヒマラヤを経験できました。メンバーの皆さんに感謝しています。
コックのジャガティスとキッチンボーイ
歌と踊りが上手なポーター
パサン・サーダー       ヒットマン

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