11/2(金) 晴れ 6:00 −10℃  ポーターテント(5300m)――ティリチョレイク(5050m) 

狭いテントで12人がすし詰めになって一晩過ごした。濡れて凍りついた靴下は履き替えたが、時折指先に鋭い痛みが走った。寒くはなかった。このテントを見つけられたことは本当にラッキーしか言いようがない。外気温は一体何度まで下ったのだろうか・・・。朝になって隣のテントの西欧人がコーヒーと紅茶を差し入れてくれた。とっても薄かったが少し甘くて美味しかった。誰かがお返しに行動食に持っていた羊羹をあげていた。昨日、私は靴を完全に濡らしてしまったので、パサン・サーダーが靴を持ってきてくれるまで待っていたかったが、暖かくなると皆じっとしていられずテントの撤収を始めた。
8:10伊賀さんの靴を借りて行動開始。歩き出すとまもなくパサンがポットを持ってやってきた。レモンティーが美味しかった。お腹が空いた。
8:45下降地点の目印のケルン(5300m)。昨夜ここまで何度行ったり来たりしたことか・・・ ヒットマンが偵察に降りていった後、足踏みしながら待っていた。足先が凍りついて時間がとても長く感じられた。昨日ここを降りなくてよかった。結構急な下りで、真っ暗な中、疲れた体でアイゼンもなく降りるのはかなりやばかったと思った。岸壁を左に回り込んで下っていくと右の奥にティリチョレイクの端が見えてきた。ずっと遥か下まで踏み跡は続いているが、まだテントサイトは見えない。とても昨夜のうちに私たちが辿り着けるような距離ではなかった。お腹が空いているためか、皆余り元気がなくタラタラ歩いた。
10:45 やっと湖の畔のテントサイト(5050m)に着いた。パサンは今日中にティリチョBCロッジまで下りたかったらしい。今日停滞するとトロンピークのアタック予備日がなくなってしまうからだ。しかし、議論の余地もなく停滞に決めた。昨日の疲れもあるし、こんなに綺麗なティリチョレイクを急いで素通りするのは勿体無い。高度の影響もかなりあったと思う。私は頭痛と肩こりで何もしたくなかった。
11:30 昼食。そうめん、手巻き寿司、ブロッコリー、塩昆布たまねぎ、ウインナー、トマト。コックさんに『フジッコの塩昆布』をキャベツと混ぜてと頼んだのに、またタマネギと和えてきた。変だなぁ・・・
午後はのんびり昼寝をした。昨夜みんなで使ったシュラフを干していたら、テントが日陰になるのが早くて冷たくなってしまった。
マナンから2パーティ登ってきて、そばにテントを張った。皆逆コースでトレッキングしている。我々のコースはきつい峠越えの後に雪上トレッキングが長くなるので、ほとんどのトレッカーはマナンからティリチョレイクに入っているようだった。               片倉  記
急な下り 空腹でペースが上がらない
ヒマラヤ襞が美しい、でも、テントはまだ先
やっとテント場に着いた

 

11/3(土) 晴れ ティリチョ湖畔テント(5050m)――カンサール(3800m)ホテル・オンハイ

8:00 美しいヒマラヤ襞を眺めながらティリチョレイクを後にする。とても去りがたかった。9:30頃4920m辺りで雪はなくなった。
11:05 ティリチョBCロッジ(4124m)着。ロッジ前のベンチに腰掛け、のんびりランチが出来るまで日向ぼっこ。気持ちがよくて眠くなる。この後歩くのが嫌になる。
下を流れる川は上流の氷河の下から始まっていた。氷河は随分後退しているんだろうな?!
ランドスライドの箇所が続き足元が危ない。細かい砂利の斜面には風化に耐えて取り残された巨岩の奇石が立ち並んでいて、穴が空いたのや面白い形をしていて見飽きなかった。ずっと先に目をやるとマナン方面の山々が見えてきた。ピサンピーク、カングルー、マナスル等。
16:35薄暗くなり始めた頃、やっとカンサールの村に着いた。村の入り口に着いてもうすぐだと思っていたら、ホテルまで三十分以上かかった。ホテルの前は広場になっていて、特に何をするわけでもなく村人たちが集まって、遊んでいる子供たちを見ていた。だいぶ下りたので今夜はお酒解禁。久々のビールは美味しかった。でも、食欲は無かった。この村で、雪の峠越えに難儀したポーターともう一人を解雇した。チップは200ルピー。                              片倉  記
ティリチョBCロッジ 4124m
ランドスライド地帯を歩く
日暮れ前カンサール村に着いた

 

11/4(日)カンサール3800M〜マナン3600Mへ

9:20カンサール、ホテル・オンハイ出発。今日はゆっくりだ。昨夜は6日ぶりにビールにありつけたし、東京から持ってきたフムデのマヤ・ロッチの娘さんの写真も渡せる手立てができた。娘さんの名前もミンクウ・グルンと呼ぶ事も知った。オンハイの娘も従姉妹同士ということで、良く似た美人だった。これで私の今回の目標の一つは達成できた。
カンサールの村を出るとき立派な門をくぐった。カラーの子孫繁栄の神の画を誰かが見つけ喜んでいた。知らずに過ぎた私を呼んでくれたが、私は生きた仏の方が魅力を感じ好きなのである。開放された羊たちが朝の出勤でこの門からぞろぞろと出てきたのを写真に1枚。マナンへの道は雪もないし2−3時間コースということで昨日までとは打って変って皆な思い思いに、刈り取りの終わったそば畑の道を進みマナンの町に11:25 に到着した。
 ポーター達はロッジの炊事場が無いとかでロッジ前にテントの設営に掛かっていた。広いテント場で干草の上に腰おろして休んだり、谷や周りのロッチを見渡して見たが、2004年プルクンに来た時と何かが違う。ダムの様な氷河湖はあるが様子が違う。午後はお休みで寝袋や衣類の日光浴にかかる。
 突然目の前に真白き雄大な山の聳えていることに気がつく。これだこれ、前回は8月の雨期でこの光景は無かったのだ。アンナプルナVが目の前にそそり立っているではないか。マナンの素晴らしさに改めて感激。夜は待ちきれないでロッチ管理の母と娘の店に駆け込み、今日までは飲んでいいんだとか言って、高橋、湯本、遠藤組が250ルピーのビールを220に値切って乾杯・・・ 足りるわけがない。お決まりのロキシーコースとなる。良く働く幼き娘に代わってアンダワが作ってくれた水牛の焼肉の美味かったことこの上ない(さすが元キッチンの腕前)。隊長も加わって写真を撮って話していると、こちらもフムデの娘さんと親戚らしい。言われて見ると顔形が同じだ。ネパールはどうなっているのだ。写真を送ることにしたら、母親はポーターをしていて学校に行っていないので住所が書けないので書いてもらって来ると言って表に出て行き書いてもらってきた。娘さんはその字を読んでいたが、デジカメで撮った私の写真が気に入らず何度か撮り直しさせられた、どうやら夜は上手く取れないから朝、撮ろうと言ったらしい。翌朝出発間際に、何を思ったか母親が村の正装した娘さんを連れて来て写真を撮ってくれと言い出すが、時間が無 いので断った。気の毒なことをした。                                  高橋  記 

ホテル・オンハイ
アンナプルナV
バッティの女主人とロキシーで上機嫌

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