2006年度の山行報告 1

<高山病! ヘリでレスキューされた話>                     杉山 脩

2007年正月、ネパール・ランタン谷へトレッキングに行ってきた。その最奥の村キャンジンゴンパ (3730m)で私は高山病になった。しかも自立歩行できない容態になり、ついにヘリコプターでレスキューされ、カトマンズまで搬送されて入院した。幸い、現在元気に回復したが、貴重な体験だった事であり、その経過と原因の検証をするとともに、費用についても開示しておこうと思う。

――― 経 過 ―――

2007年1月1日1340mのカトマンズ空港から私達5名は、チャーターしたヘリコプターで3020mのランタン谷・ゴラタべラに飛んだ。その日の午後は陽だまりでのんびりお茶を飲み、写真とスケッチで時を過ごす。キッチンスタッフの食事はたいへん口にあって、毎食120%胃袋に入った。
2日目、ランタン村3300mに登る。この夜より過食のためか、下痢ぎみになる。
3日目、キャンジンゴンパ村3730mまで進む。少々呼吸が苦しい。昼食後、カメラだけ持って、更に奥のランシサカルカ方面へ進む。引き返す頃より、ちょっと足元が不安定になり、ストックに頼ったり、シェルパに支えられたりすることが多くなった。しかし頭痛もなく、意識もはっきりしていた。ロッヂに戻ってから椅子に座っているのが辛くなり、部屋で横になる。夕食、食欲がなくなり、スープすら喉を通らなくなる。夜中、下痢でトイレに度々通う。

4日目、朝、ついに起きられず、ギャルゼン・シェルパが紅茶とお粥を部屋に運んで食べさせてくれたらしいが、このあたりから私の記憶が欠落してくる。ベットに座っていることも出来ず、後日、同行者の話によると、顔は青白く浮腫み、目線定まらず、手もかなり浮腫んでいたという。
実は、前日にサーダー・ナムカはこの村に滞在している日本人グループ(アルパインツアー添乗員・鈴木氏))のチャーターしたヘリコプターが、翌日飛来するという話しを聞いていて、夜のうちに病人を同乗させてもらいたい由を打診していた模様だ。そしてこの朝、わたしの様子を見て、ヘリでレスキューする決断をしたようだ。
まずドルチェ・シェルパが、カトマンズ空港からの車と日本語通訳の出迎えの手配に、電話のあるランタン村まで走り下山して行った。そして再びこの村まで戻ってきて、私が入院するまで終始付き添ってくれた。
他のメンバー4名は8:00頃ギャルゼン・シェルパとともに下山して行った。8:30予定のヘリは13:30になって、やっと飛来した。それまでサーダー・ナムカとコック長・ナルバードルが付き添って、私のからだをマツサージしてくれていた。手のひらが白くなり、血の気がなかったらしい。そして私はサーダーの背中に背負われてヘリに運び込まれた。24人乗りの大型ヘリだった。ドルチェが付き添ってくれている。サーダー・ナムカとコック長・ナルバードルは私をヘリに乗せると、急ぎ本隊を追いかけて下山して行った。皆が7時間かけて下った道を4時間で追いついたそうである。
私は、ヘリの中のことを全く覚えていない。気が付くとバスの窓の外に日本語通訳のビゾン君が迎えにきていた。出迎えの車に乗せられて病院に行く由を告げられる。『Travel Medicine Center』という病院。ゲスト専用の施設だそうで、料金は高いが安全だといわれる。標高1350mのカトマンズに下りてきて、だいぶ意識が戻ってきた。しかし身体は思うように動かない。診察台にのぼるにもサポートがいる。
ドクターはネパール人とイギリス人青年、ナースはフランス人女性とネパール人女性、秘書はイギリス人女性だった。ビゾン君を通して質問が続く。血液採取、酸素吸入、レントゲン撮影、K+Naの点滴が3本、キャラバンというインド製の錠剤を飲まされる。血中酸素濃度は73%、脈拍89/min、体温39.5℃だった。(退院の際に貰った診断書に書かれていた)
ビゾン君は良く面倒をみてくれる。病院食の設備がないため、タメル地区の日本食レストランまでテイクアウトを買いに、バナナ、ミネラルウォーターを、翌朝はお粥まで持ってきてくれた。しかし、後述するが、同時に病院側から料金概算と支払方法の話しがあり、快方を喜んでばかりいられない現実があった。
レントゲンの結果、肺水腫の心配はなかったが血中酸素濃度はなかなか戻らない。90%以上に戻らなければ飛行機での帰国は無理ともいわれた。結局、酸素吸入は20時間におよび、ミネラルウォーターを大量に飲み、翌日、昼に退院することになった。
やっと1人歩行で車に乗りホテルに入る。ゆっくり慎重に風呂に入り、久し振りに髭を剃り、そのまま夕食もとらずに翌朝まで眠り続けた。
10:00に通院の予約があり、このとき血中酸素濃度は92%まで戻って、これで帰国後すぐに仕事が出来ると安堵する。

――― 原因を検証してみる ―――

高山病が発症したキャンジンゴンパは3730m。ほぼ富士山と同じ標高である。私は何度も、富士山に登り、この直前にも宿泊、登頂しているが頭痛、吐き気等一切無く、数年前には5300mまで登った経験もあった。今回のトレッキングでも、高山病など全く心配していなかった。
しかし、そこに油断があった。
まず、トレッキング2日目。コックの作る日本食の美味に負けて毎食かなりの過食になっていた。その為、消化不良から下痢ぎみになっていたが、あまり気に留めないでいた。1日2g〜5gの水を飲まなければならないといわれている。しかし、自分は食事毎にマグカップ1杯のミルクテイーだけで、行動中はほとんど摂取していなかった。あきらかに水分不足であったが、補給を怠っていた。
夜中、咳き込んで喉が痛くなったが、乾燥した外気のためと思っていた。それが脱水症状の遠因になるとは意識しなかった。飴を舐めると改善されるが、水分を摂取しなければ意味がなかった。高山病は、夜、就寝中に呼吸が小さくなった時に進行する。酸素不足になってしまうからだ。床から起きて深呼吸することが必要だが、意識障害が出てくると、そのまま眠り続けて悪化していくようだ。
症状は、咳、動いたときの息苦しさ、発熱、顔面の浮腫み、尿量の減少、意識障害、運動失調であった。高山病は体力と関係なく、個人差で発症するといわれている。しかし他のメンバーと自分は、なにが異なっていて、発症してしまったのだろうか? ネパールに入国する直前の体調不良でもあったのだろうか?高山病のメカニズムは解明されても、個人差のメカニズムは未だ解明されていない。

――― 総 括 ―――

高山病対策は、「毎回、初心に帰れ」と言う事だと思う。過去の経験も過信出来ない。8000m峰経験者が後日4000mで高山病になったという話も聞く。かつて、エベレスト街道にいつたとき、シャンボチエで咳をしたら血をはいたので、あわってて下山してきた、という青年とあつたし、好山会の小川君は   3430mのナムチエ バザールで高山病になり、600m下山してジョサレ村にスティしている。決して高山病はめずらしいことではないのに、今回の私は油断していた。多分に驕りがあった。深く反省させられた。
高所順応の方法を列記すると

1. とにかく水分を充分に摂取すること。1日2g〜5gが必要であるとする説もある。
2. 日本にいるときから、水を飲む練習をしておく。
3. くれぐれも下痢にならないように食事に気をつけること。脱水症状を誘発する。
4. 疲労や風邪に気をつけて体調を整えておくこと。
5. 高所での動きをゆっくりして、高度に慣れるまで激しい動きは控えること。過呼吸は酸欠を誘発する。
6. 高所での酒とタバコは控えたほうがいいだろう。
7. なるべく低い高度からスタートしたほうがいい。
8. 国内で出来る高所順応は富士山に登って、出来れば宿泊しておくこと。
9. 利尿剤の携行も検討したほうがいいだろう。


――― 今回の費用について ―――

 国内でヘリのレスキュー劇がニュースになってもその費用が公になることはほとんどない。それは、人命とお金を天秤にかけるようなもので当事者が話したがらないからだろう。また海外トレッキングの代理店も客の不安をつのらせるので事前にこのような話はしたがらないだろう。
今回、ネパールという外国で(物価も異なるが)入院と同時に、まだ意識がはっきりしないうちから、病院の費用やヘリの費用の話しを耳打ちされて、どうやって支払うか、手持ちの現金はいくらあるのか、思い悩みながらベットで横になっていた。私が入院した病院は外国人用で、現地の人は高くて受診出来ないといわれる施設だった。外国でトラブルを解決できるのは、最後は、金だ。これは肝に銘じておくべきだ。さて――下記の費用を支払わなければ帰国できない事になる。

A.まず病院関係の費用『Travel Medicine Center』病院で、在ネ/イギリス大使館の前にあった。
 入院、ベット代(Night Charges)                    $400
 治療費、注射、点滴、酸素吸入20時間分、飲み薬、血液検査、等     $522
 通院1日                                $27
 レントゲン(酸素ボンベに繋がれたまま、他の病院まで撮影に行った) Rs1600

 これらはVISAカードで支払った。

B.次にレスキュー関係の費用
 ヘリコプターコスト             $600
 空港→病院の車と通訳             $30
 退院後のホテル1泊              $55
通訳の病院内アテンダンス(2日分)      $80
その他(現金支払いの食事代など)    Rs2100

退院した翌日に早速『Himalayan Culture Trekking』という会社から上記の通り請求される。
これは現金による支払いを求められた。A+B合計で約¥220,000である。

――― ヘリのチャーター代金について ―――

今回、私は幸運にも、他のトレッキングパーティー(アルパインツアー)のチャーターしたヘリに便乗させてもらうことが出来たので、その費用は驚くほど格安にしてもらうことが出来た。もし、カトマンズから1機チャーターしたら、いくらかかったのかと思うと、ゾッとする。

――― 最後に ―――

私がこの一文を書こうと思ったのは、山岳救助には多くの人達に多大なる迷惑をかけること、そして多額の費用もかかるということをお伝えするためです。くれぐれも山を侮らず、常に体調を整えて臨むことを忘れてはならない。自らの反省を含めて報告いたします。
現在、こうして後遺症も残らず(?)元気でいられるのは、今回のレスキュー劇に関わってくれた、サーダー・ナムカ、シェルパを初めトレッキングスタッフ、アルパインツアーの鈴木さん、カトマンズのスレヤ・トラベル&ツアーズのスタッフ、通訳のビゾン君、日本において手配の手続きをしていただいたT.H.I.の杉さん、田中さんにただただ感謝するのみです。
そして今回のトレッキングの同行者・村?夫妻、金子女史、上嶋君に、なによりもお礼を申し上げます。
思い出深い旅をありがとう。あなたがたのおかげで、今はすべて笑い話でいられることに感謝しています。
「初心に帰ることを忘れずに!」を肝に銘じて。